第21回 東京ホリスティック教育研究会

11月15日(土)18:00-20:30ごろ


場 所:  青山学院大学 総研ビル 9F 第15会議室


テーマ:  「自由の哲学」から「自由への教育」まで

講 師:  今井重孝さん(青山学院大学)


難解とされているシュタイナーの「自由の哲学」のエッセンスを
わかりやすく取り出し、ここで提起された立場と、
シュタイナー学校の理念である「自由への教育」が
どのようにつながっているのかについてお話させていただきます
                                (今井)

  会員以外の方も、どなたでもお越しください。
メールフォームにてご一報いただければありがたいです。

レジュメ

2008年11月15日(土)東京ホリスティック教育研究会例会
 「自由の哲学」から「自由への教育」へ     By Shigetaka Imai
はじめに
21世紀の岩波講座哲学・・・02形而上学の現在 はじめに・・・「中心の喪失」「哲学の終焉」→「哲学の原点」に立ち返る
     Ⅱ―3 決定論と自由 美濃正 
自由意志があるということは、「われわれの根本的自己理解であろう。ところが、この自己理解を世界全体についてのわれわれの理解とうまく噛み合わせることが、なかなかむずかしいのである。」161頁
「要するに、われわれは今なお「自由」概念の正確適切な哲学的解明という課題に直面し続けている。」182頁
「自由の哲学」とシュタイナー
1861年 シュタイナー誕生
1882年 「ゲーテの自然科学論文」掲載
1886年 「ゲーテの世界観の認識論要綱」
1891年 博士論文「特にフィヒテの学説に関連する認識論の基本問題」で博士号取得
1892年 「真理と学問」
1894年 「自由の哲学」
1907年 「霊学の観点から見た子どもの教育」
1919年 シュタイナー学校創設(「自由への教育」)

1.なぜ、「自由」が問題なのか
 (1)中世の封建制社会から近代の市民社会へ
 (2)江戸時代の身分制社会から近代の市民社会へ
 (3)ゲマインシャフト(共同体社会)からゲゼルシャフト(利益社会)へ
 (4)ルネサンス、宗教改革、個人主義の誕生
 (5)理性の優位(感情・意志の劣位)、実験科学(誰もが自分で確かめられる)、
    価値の相対性(それぞれが価値を決める)、構成主義(それぞれの立場からの真実がある)、「大きな物語」の終焉
 (6)1413年から意識魂の時代に入ったのに、哲学の方が対応し切れていない、
 (7)意志哲学、感情哲学、思考哲学に分裂、全体を捉えられない。従って、生きる指針とならない。
 (8)全体を捉えられる哲学は「自由の哲学」とならざるをえない。精神の自由こそが現在の人間の進化段階における最高の到達点なのであるから。人間いかに生きるべきかという問いは、「自由の謎」を解けるかどうかにかかっている。

2.「自由」のどこが問題なのか・・・人間に「自由」はあるといえるのか
  (1)法律上の自由権:奴隷的拘束・苦役からの自由、思想・良心の自由、信教の自由、結社・表現の自由、職業選択の自由、外国移住の自由、学問の自由
  (2)経済上の自由、自由主義経済、金融の自由化、
  (3)幻想としての自由
     物質界における法則、
     精神の世界にも適応可能である、
        何か目に見えない法則によって、支配されている
        欲望によって支配されている、
        無意識によって支配されている、
素朴な「自由」信仰:自由があると信じている。
物質科学の成果を人間分析に応用すると、人間に自由はないということになる。
スピノザの「飛ぶ石の自由」の話
カントの「純粋理性批判」の話

色彩→目→視神経→脳神経→色の像
「色彩は光の波長である」と科学は語る。
「視神経」を伝達されるのは、色彩ではなくて化学的な情報である。
人間が見ているのは、「波長」であり、「化学的情報」である。
色彩は、幻想であり、人間が作り出したものである。主観的な創出物であって、客観的なものではない。
→ 物自体は認識不能である
素朴実在論と科学的真理をどう調停するか、という問題がある。

3.「自由の哲学」はいかにして可能か
(1)人間は、自分の欲求、感情、動機を意識化することができる。これが自由の根拠である。
(2)二元論はいかにして克服可能であるか。「思考」によって可能となる。
   知覚対象は、目を閉じたとき表象となる。表象と知覚対象は区別できる。
     知覚対象は、思考・概念により了解可能となる。(たとえば、視覚障害者が手術ではじめて目が見えた場合→混沌が見える、概念により目に見えるものが整理できてはじめて対象が理解できる。どれが木でどれが草でどれが犬でとかがわからなければ何もわからない。とはいえ、表象は、実物が目の前に無くても可能であるが、知覚対象は、対象がなければ存在し得ない。犬が前にいなければ、犬の概念は知覚対象としては呼び起こされない。だから、犬の概念は、主観的なものではなく、客観的なものであり、犬の概念は、犬という知覚対象に含まれているのである。つまり、対象は、色彩や形のみならず概念や法則をも存在の中に組み込んでいるのであり、目に見えない概念や法則を読み取れる思考の力と知覚対象が共同して、はじめて知覚対象が正確に理解できるというわけなのである。)
    思考自身を思考の知覚対象としたとき、知覚対象と思考の分裂は克服される。思考内容は思考にとって自らの生み出したものであり自らにとって透明だからである。

4.「自由の哲学」と道徳
     「思考の働きを洞察できる人は、知覚内容の中には現実の一部分しか存在せず、別の現実部分はこの知覚内容を思考することによって体験されるものであり、それによってはじめて現実が完全な形をとって現れる、ということを知っている。」
     「そしてその本質性が直観を通して意識の中に現れることをも知るであろう。直観とは純粋に精神的な内容を純粋に精神的な仕方で意識的に体験することである。」
動機と衝動
   動機・・・概念や表象による意志要因
   衝動・・・人体組織に直接制約された意志要因  
     同じ表象や概念が異なる仕方で個々人に働きかける・・・性格学的素質の影響:これは持続的な生活内容によって形成される:表象内容、感情内容による
     「われわれは二つの事柄を区別しなければならない。一、特定の表象や概念を動機にすることのできる主観的な素質、二、私の性格学的素質に働きかけて意志を生じさせることのできるような表象や概念である。前者は道徳の衝動を、後者は道徳の目標を表している。」
道徳の衝動を見出すためには個人の生活がどのような要素から成り立っているのかを知らなければならない。性格学的素質を規定する要因
    a.知覚 知覚が意志に転化される場合がある  生き様、人間味
    b.感情 羞恥心、誇り、同情、遠慮、報恩、忠誠、愛情、義務感など
    c.思考と表象  考慮するだけで行動の動機となる 実際経験から手本  
    d.概念的思考  特定の知覚内容を顧慮しない  実践理性
道徳の目標について、意志を生じさせる動機となる
    a.表象と概念 感情は動機とならない、感情の表象が動機となる
           純概念的な行為内容(道徳原則)、神の命令、良心
    権威による道徳から認識による行動へ
    b.行為の基準を自分の動機の中に見出す:道徳生活の要求の意識化
     1)人類全体の最大限の幸福をもっぱらこの幸福そのもののために求める
     2)人類の道徳的進化もしくは文化の進歩をますます完全なものにしようとする
       3)まったく直観的に把握された個人の道徳目標を実現しようとする(概念的直観)
     倫理的個体主義、道徳的想像力
「或る行為が自由な行為と感じられるのは、その根拠が私の個体存在の理念的部分に見出せるときである。」
「行為への愛において生きること、他人の意志を理解しつつ生かすこと、これが自由な人間の基本命題である。」187頁 Liebe zum Handeln(愛が行為のほうへと向かっていく)

5.人類進化の目標としての「自由な精神」
  教育の目標としての「自由への教育」

6.社会の三分節化・・・意識魂の時代にふさわしい社会のあり方
  政治における平等
  経済における友愛
  精神における自由
精神における自由が中核となる。

7.子どもの発達段階と社会の三分節化
0歳から7歳 模倣→自由の精神
7歳から14歳 権威→平等の精神
14歳から21歳 愛→友愛の精神
  
おわりに
「ヴァルドルフ学校は、現代の精神生活を革新しようとする本当の文化行為でなければなりません。すべての点において、変革を考えなければなりません。社会運動というものは結局は精神的な事柄に立ち返っていきます。」「教育の基礎としての一般人間学」

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